私は、40年に渡って教育現場に勤めさせていただきました。
風の時代の投稿をしながら、学校教育についても、変わったこと変わらなかったこと、変えられずに行き詰まったことが様々あったなあと振り返っています。
今回は、私の失敗談も含めて、これまでとこれから(風の時代)の教育について述べさせていただきます。
*地の時代の終盤、昭和~平成時代までは、「皆同じに」と「数字での評価」が基本であったことを以前お伝えしました。
この2つ、学校教育ではどのように蔓延していたのでしょう。
学校での「皆同じに」、みなさんは、どんなことを思い浮かべますか?
私は、
校則を思い浮かべます。
<伝家の宝刀>
なんと言っても、これがずーっと支配していた気がします。子どもたちをそろえるために、きまりだから、ルールだからと、指導の際に使われてきました。
もちろん、必要な時はありますが、
皆をそろえる、同じにもっていくことへの
意味と必要性は、見つめ直さなければなりません。
この頃、校則についての話題が多くなっています。先月末*岩手日報にも大きく掲載されました。
<内容>
服装のサイズや着方、髪型、姿勢、学習用具。まとめると、
形や色の制限、ですね。
その他たくさんの集団行動のきまり。
授業でも事細かな約束事があります。これらは
見た目がそろうことと言えますね。
整列の時の「前ならえ」以外でも、教室でも手を挙げる角度や姿勢、、実に細かいところまで行き渡っています。
●ポイントは、皆がそろっていること。全員が同じことをすること、そして、できること。
見た目が同じであることです。
これは、
わかりやすいです。
*もちろん、学校としてのルールもあれば、担任の裁量で設けているものもあります。
*学校として「必要」とされているものは、教室に貼ってある、、と思います。
●思い出します。。
平成8、9年頃です。ずいぶんと長い後ろ髪を結んでいる低学年の男の子が、校庭で遊んでいました。それを見ながら、当時の校長が職員室でボソッと話し出したのが、
「これからは髪を染めた子どもが出てくるだろうな。大変なことになってくるだろうな。」
たしかに。私は単純に指導が大変になるなという思いしか出てきませんでした。
『今まで守られてきた規範みたいなものに反することは指導』、、はみ出したらどう指導するか。。この意識ですね。
それと、指導の意味を親にわかってもらえるのか?、、この迷いでした。
<必要性>
「きまり」や「やくそく」は、小中高校、どこであれ、
学校が何を大事にしているかや児童生徒に身につけてほしいことを具体化したものとして、
一定程度は必要です。
あとは、
実際に児童生徒に向き合う教員などが、どの程度徹底する(こだわる)かにかかっています!
どんなことにこだわるか、どこまでやるか、指導か罰則付きか、
ここまでくると、もう教員それぞれとなります。教育観や方針で違ってくるわけです。温度差とも見てとれます。
また、それ以外の部分、、指導力も影響してきます。人間性も。
<指導を通して生まれるもの>
指導の姿勢や仕方、叱り方の他にも、
「きまり」や「やくそく」の徹底(こだわり)ぶりで、
厳しい先生とか優しい先生という印象や、
面倒くさいとか好きにできるなどの印象ができあがっていきます。
ただ、
本当にそれらの言葉通りの先生なのかは、やっているこだわり、見た目や程度では、推し量れません。
そこに乗せた
『教育者、指導者としての、必要性についての思いや願い』が子どもたちに伝わらなければ、
ただの伝家の宝刀、
水戸黄門の印籠としか、子どもには映りません。
そろうことでの見た目の良さ?や、はみ出していない様子で子どもを評価するとしたらどうでしょう?
♦
危険なのは、ここです!
まず、
見た目「皆と同じことができない、遅い」という、周りにそろえられない子は、
・ダメなのでしょうか?
・仕方ないのでしょうか?
・特徴の一つ、でしょうか?
どれも評価していることになります。
ただ、
・やろうとしてもできない子なら?
・そもそも、伝わっていなかったら?
ということもあります。
次に
指導する側の教員は、
・
子どものために、または、学級経営として必要という意図をもっていたか?
・単に
自分の言うことを聞かせたいからなのか?
・自身も、
「ルールだから」と染まっていたために、無感覚だったからか?
どうでしょう?
ルールを持ち出すことを第一としてしまうのは簡単です。楽です。守らないから即ダメとできます。
また、「言うことを聞かせたい」は、効き目がないと、不機嫌になり、圧をかけ、エスカレートし、、となったりします。
危険です。
●私の反省
若い頃は特に、私もそうなりました。言うことを聞かないことへの怒りが増幅して、ルールを守らなかったことへの指導がかすんでいきました。そうなると、児童理解や状況把握などの
冷静さは無くなります。
教育力や指導力が無い自分に怒りや悔しさが沸いているのに、子どもにぶつけている。それを修正できない状態にはまっている。
これは、意図的に叱るのとは全然別物です。
♡約束事を指導する時、
なぜ守れないのか
それが第一なのか
成長に繋がることなのかを
心しているかどうかは大切ですね。
さらに、
その指導は、
教育者として本末転倒していないか?と考えることを忘れていたら大変だということです。
●例えば、
「話を聞く」という目的があったとして、全員が背筋を伸ばしていないと注意する、直るまで指導する。必要でしょうか?背筋が伸びていないと「聞けない」「頭に入らない」のでしょうか?
大事なのは、聞いて理解することであって、見た目の様子ではないはずですね。
それよりも、
みんなが聞ける話し方であったり、必要な内容であったりするかを、話す方がしっかり吟味、用意、工夫することが「先生」の役目ではないか?
そう思うんです。
♡
聞きたい話の時は、子どもは、見た目の姿勢よりも、身を乗り出してきます。目は輝いてきます。そして、それぞれ反応してくれます。話す方の「先生」次第です。
そこを磨かないと、です。
<強要>
・皆がそろっていたら、何が良いのでしょう?・・・スッキリ、でしょうか?
・誰がスッキリするのでしょう?・・・子どもたち自身は、全体がそろっているかどうかは見えません。
・さらに、隣のクラスより良いとか不揃いだとかで重ねる評価。
子どもたちにとって必要なことは何でしょう?
それを忘れたり、ないがしろにしたりする中での校則やルールには、要注意です。はみ出しのチェックに使うのなら、目的が違うのではないでしょうか。
●まして、いろいろな子どもたちにまで強要しては、苦しませるだけになるかもしれません。
<見つめ直し>
校則やルールを守らせようとするとき、
●「良かれと思って」と思いがち、
●「必要だから」と言いがち、
子どものためになるか?に立ち戻りたいものです。
●ずっとやってきたから、伝統だから、
●とにかく、そろうのが良いのだ、
個々を大切にしないのは、もはや止めるべきものです。
♦「画一的」にや「一斉に」への強制は、
そうしてきたからや
そうしたいからではなく、♡
必要かどうかで判断されることを望みます。
その姿勢の転換が、
風の時代の教育に繋がります。
♦中には、辛い思いをする子もいて、学校嫌いや不登校に繋がってしまう子も出てくるのです。もったいないし残念です。
いつの時代でも、『教育』はとても大事です。
風の時代では、ますます
多様な教育の場や方法が広がります。
しかし、
●先日、教員の不足、採用の倍率が過去最低というニュース報道がされ、以来、学校教育にまつわる様々な記事が吹き出したかのように目にふれるようになりました。なりたい人不足、必要な人数も不足。さらに、非正規雇用も不足という事態はほんとうに問題だと感じます。
多様な子どもを生かすという風の時代の教育の充実へ向けての大きな課題の一つです。
●『教育』については、また機会を設けてお伝えしたいです。
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