まいぷれ玉手箱 ~心の癒しコラム~
マルメ_トキワダイ 店主 佐藤禄子(さとう よしこ)さん
良くも悪くもとれる書き出しをします。
私は50になるのを楽しみにしていた。
なぜ?
亡き母より歳をとるから。
40代はとにかく自分探しをしていたな。
歳祝いなどで同級生と会う機会が多く、同じ歳の女性の中で如何に生き生きして魅せるかに重きを置いていた。
昔話もあるけど健康の話や子供の話、親の介護の話なんてのも多くなったね。
私の母が病に伏したのは45歳。私が高校生の頃。
発病から4年後には亡くなった。
亡くなる直前まで家に戻ったらやる事リストを書いていた。
独身の頃は東京にいて、親からの見合い話が進み泣く泣く帰郷し結婚した母。
5年で未亡人となり私と母子家庭を20年過ごしてくれました。
いつも明るく「さっちゃんさっちゃん」と皆から声を掛けられる素敵な母。
お葬式にはたくさんの花輪が上がり22歳で喪主の私には母の存在が偉大に感じた。
そんな娘っ子は49歳まで母ならどうするか、母なら、、とモデルに生きてきた。
きっと母上様がご健在の方はそこまで思わないのでしょうね。
実際、健在していたら喧嘩ばかりしていたのかもしれない。
49歳で50歳からのモデルを失い、今の自分と向き合わなくてはならなくなった時、子供たちにどんな親として映っているのか。
とても知りたかった。
エゴだよね(笑)
どれだけしてあげてるかってことか。
気づいた時すごく嫌だった。
ゾワッとした。
親なのは変わらない。
彼らは彼らの生きる道を進んでいるんだ。
私ったら何を求めてたんだ。
親としてしてやったことの評価か?
無償の愛を与えたと認めてほしいのか?
承認欲求を子供に満たしてもらいたいのか?
今年のお盆にやっと気づいた。
50の夏であった。
子供たちよありがとう。
母性は子だけが対象じゃない有形無形全世界全地球上のものを愛そうじゃないか。
そして
一番自分を愛してあげよう!
女ってそれが出来る生き物だと思う。